認知症介護・予防講演・研修|認知症は恐くない

認知症も早期発見・早期対応が第一

  • IADL訓練ってなーに?
  • 認知症の介護の第一歩はIADL訓練から

日本人は、特に役所関係の書類には頻繁に出てくるんですが、外国のやり方を勉強すると日本語に訳せない単語が出てくるんで

はじめに

認知症の症状・問題行動は様々
認知症の診断はできるが、打つ手はあるのか

認知症の診断は簡単に出来るんです。でも、我々介護の人間が、認知症を診断しても意味が無い。お医者さんの仕事ですね、、、診断をするのは。

そして、莫大なお金をかけて薬を開発してますが、今まで認知症に効く薬は出ていません。開発中の治療実験の薬がやっと話題になりだした、、、そんな段階なんですね。

認知症になると問題行動が出る。だから家族にはわかるんです。それで病院にかかる。例えば暴力行為なんかでは、家族が困ってお医者さんに相談する。するとお医者さんは抗精神薬を出す。これは対症療法なんです。

「認知症は病気である。でも認知症の人は病人ではない」と言われるように、認知症は特殊な病気なんです。

 

ADL(activity of daily living)とIADL(instrumental activity of daily living)について

今どうしてIADLなんでしょう?ADLは環境改善の手段として大切なんです。

第一回でも話しましたが、イギリスのある精神科医が、入院している認知症患者を「認知症の問題行動は、環境が原因ではないか?」という考えの基、二千ヘクタールの敷地に家を建てて6人の患者と共に環境改善を目標とした共同生活を始めたんです。

周りから多くの反対があったのですが、共同生活を始めてみると今まで精神病院で問題とされていた行動がことごとく消えたのです。

これが世界中に広まり、グループホームとして認知されてきました。日本でも介護保険に加えられ、「北さん家」ができたのです。

それに比べて、100人規模の大規模施設などでは施設の廊下が回り廊下になっており、放置された痴呆の入所者がぐるぐる歩いています。

そんな施設職員は「自分の親や自分は、認知症になっても此処には入所したくない」と言います。でも、これが厚生労働省の方針であり、私が間違っていると思うところです。

  1. ADL(日常生活動作)・・・一般に身の回りの動作のことをいう
    ADLとは「健康で何時まで生きられるか?」ということから考えられたものです。じゃあ、健康かどうかは何処を境にするんでしょう?

    これは元々、障害に関するものからきたかんがえ方なんです。
    福祉の理念は、全て障害者から来ている、、、そしてそれが老人福祉に広がってきたのです。
  2. 広い意味での「日常生活動作(ADL)」
    ①基本的日常生活動作(basic ADL=BADL)

    ②手段的日常生活動作(instrumontalADL=IADL)
    ③ADLの分類(身の回りの動作)・・・食事・更衣・整容・トイレ・入浴・・・
      BADL
      |
      移動動作
      |
      IADL・・・買い物・洗濯・電話・薬の管理・財産管理・乗り物等の日常生活上の複雑な動作

    ADLは大きく分けるとIADLとBADLに分けられます。作業・理学療法士などに言わせるとさらにいくつかに細分されるようですが、、、。

    BADLとは、人間の第一次的(基本的)欲求ですね。食事・排泄・入浴などです。殆どの施設の職員はこの三つが自分達の仕事だと思っているんです。そしてこれらがどれだけ出来るか、あるいは出来ないかで介護保険の要介護が決められているんです。

    対してIADLは、買い物・洗濯・電話など、道具を使う動作です。そして「移動動作」がこの中間的なものだと思ってください。日常生活は、体を使う+道具を使うことで成り立っているのです。

    ④LADL評価
    ・バスや電車を使って1人で外出できますか
    ・自分で食事の用意ができますか
    ・請求書の支払いが出来ますか
    ・銀行預金・郵便貯金の出し入れが自分で出来ますか
    ・ゲートボール、踊りなど趣味を楽しんでいますか

    これらの事がどれだけ出来るかで、「00点!」と点数がつくわけですね。
    此処までは前置きです。そしてここから、今回の本題に入っていきます。

 

認知症介護とIADL

  1. 認知症の理解
    まず、認知症を理解していないといけない。

    「今朝はまだ朝ご飯食べてないよ」
    「何いってんの!今朝はアジの干物とお味噌汁食べたでしょ」
    「あーあーそうだったね。ワシもいよいよボケてきたかなー」 (^_^;)

    これは単なる「物忘れ」です。

    此処で大切なのは記憶の再生(人の助けを借りて記憶が呼び戻される)が出来るかどうかです。記憶の再生が出来れば、認知症ではないんですね! でも、この状態をほって置くと認知症になり、認知症が悪化していく場合があります。

    要は、本人が自覚をし、家族もそれを認めることが必要なんです。

    ・おやっ?と思ったときから、すぐ対応する

    認知症は早期発見、早期対処が大切なんです。一度進んだ認知症は元には戻りませんから。

    わたしは記憶力には自信が有ったんですが最近物忘れが多くなってきたんです。それに対して「記録を取る習慣をつける」ことで対処しています。取ったメモを何処に置いたか忘れることもあるんですが、、、(笑)。

    よく「認知症になったらどうするか?」と聞かれて「認知症になったら何もわからないからいいじゃない」と答える人がいますがこれは間違いなんですね。いきなり「何も解らない認知症」になるわけじゃあないんですから。

    ・混乱している痛みを理解する

    人は認知症になると混乱するんです。今まで普通に出来ていたことが出来なくなってくる。


    一般的に認知症になると知性の部分が破壊されるんです。でも、感情の部分は残る。例えば花を見てきれいだと感じることは出来ても、買い物に行っておつりの計算が出来ない。だから、出来ないことを悲しむ「心」は残っているんです。

    ・役割を奪わず、達成感を味わってもらう

    「呆けているから」と、家族がほって置くと認知症は進みます。認知症の人には独特の世界観や価値観があるんです。そしてそれは皆違うんです。


    外へ出る、、、という行動も、ある学校の先生をしていた人は、朝用意して学校へ行く為に外へ出る。でも、学校が何処にあるか解らないで混乱する。又ある人は、山に向かって歩く。兵隊さんだった頃の行軍を思い出しているのではないか、と言われています。

    ただ、本当のところは我々が想像するだけでわからないんですが、、、とにかく、歩く理由は人それぞれ違うんです。それを「外へ出てはいけません」と制止すると「なぜとめる!?」となる。理屈が理解できないから、感情的になって暴力を振るったりするようになるんです。

    暴力を振るう→医者にかかる→薬を飲む→職員は楽になる

    よく聞く話ですが、それでも薬で抑えきれないときが出てくると部屋にカギをかける。認知症の人はそこにドアがあるのは解るのですが「どうしてドアが開かないのか」が理解できずに、部屋で暴れるようになる。だから、認知症の人の部屋には何も置いてはいけない!、、、となる。厚生労働省がそういう指導をしているんです。

    私はここでは昔の写真や思い出の品を持ってきてもらっています。あぶない!と言われますが、どうして危ないのでしょう? 認知症病棟には、ナースコールがない。ナースコールのコードで首をくくったらどうするの!、、、だそうです。

    認知症の人は、混乱している状況を回りの人に理解してもらえず、自己実現できずに苦しんでいるんです。

    私はここ2~3年、どうやってIADLと認知症を結びつけていくか考えるようになりました。IADLでその人に何が出来るかを見直す。何が出来るか、、、から、その人が生活する上での役割を見直すんです。

    お年寄りの中には役割を奪われた人が多い。家庭での役割がないと、日々の達成感がない。これを元に戻さないといけないんです。じゃあ、どうやって戻すか?

    女性はそんなに難しくないんですね。たとえば一緒に買い物に行って、買うものを選んでもらう。料理を手伝ってもらう。1人では料理や買い物が出来ない人でも、料理ができると「この料理は私が作った」という達成感をもてるのです。他の家事も同じですね。ところが男性は難しい。

    男性の場合、仕事をやめて家にいる。刺身が出ても醤油が何処にあるか解らない。妻が入院しても、保険証やお金が何処にしまってあるのかわからないから、病院にもいけない。これが日本の男性の一般的な形ですね。(受講している男性に向かって)あなた、、、洗濯したことあります? 洗濯機の使い方解ります?(笑)

    健康な私達は日常生活でいつも選択し、やり遂げて達成感を味わっているんです。ところが認知症になると、洗濯をしている途中で忘れてしまう。すると「お母さん、私がやりますから」と洗濯という役割を取り上げてしまう。

    お父さんが離れて住んでいる子供に電話をかけようとして、電話番号を忘れると「私がかけてあげますからね」とダイヤルを回す。そうではなくて、電話帳を渡して「番号、調べてくださいな」としなければならない。

    寝たきりの人を面倒みていたとき、最初は「どっこいしょ」と抱き上げていました。でもよく観察していると「この人はもしかして立てるんではないか?」と思えて立たせてみたんです。。。立てるんですね、、、その人は。

    人は寝かせきりにしておくと心臓が弱ってくるんです。立っているからこそ心臓が頑張って血液を頭の方に押し上げようとするんです。だから寝かせきりにして心臓が弱ってくると色々な病気を引き起こす。これを廃用性症候群(はいようせいしょうこうぐん)と言うんです。

    寝たきりの人を職員が付き添って立たせる。するとその人は「あ、私にも立てるんだ!」と思うことができる。これも達成感なんです。達成感は感情ですから、痴呆の人でも感じることが出来るんですね。それをわざわざストレッチャーに乗せたまま、入浴させる。

    あなた達、年を取ったらそんな介護を受けたいですか?

    初期の認知症をほって置くと認知症が進み、介護しきれなくなって家族と共倒れ。そうならない為にこそ、初期の段階からいっしょにやるんです。特に車社会では、IADLのIが失われつつあるんですね。

    自分では外出できない人と、一緒に外出する習慣をつける。買い物に行って、買うものを選んでもらう。お風呂も一緒に入れば良い。大切なのは自律なんです。

    これも施設時代の経験なんですが、外へ出たい利用者さんを外へ出す。職員が追いかける。追いかけられた利用者さんは近くの家に逃げ込んで「変なやつに追いかけられてるんだ! 警察をよんでくれ!」と叫ぶ。

    ところがその家の人は認知症介護を経験したことがある人で、わけがわかっているので、利用者さんの家族を呼んでくるまで面倒を見てもらったんです。家族が迎えにくると、その人は素直に帰るんですね。もちろん、私達職員が無理に引き止めると、混乱が増して認知症が進行するんです。

    おや!と思ったときはIADL。出来ることを一緒に探すのが何よりの介護です。

    いま、鈴鹿市では施設に入ろうとすると2年待ちです。その間どうするかと言うと、病院をたらい回しにされるんですね。介護保険になってもなーんにも変わってないんですよ!

    最短距離で認知症が進んだ場合、普通に話していた人が動物と人間の違いがわからなくなるまで6ヶ月です。床にはいつくばって、言葉もわからず「ウオーウオー」と叫び、手に触る物を手当たり次第に口に入れるようになるまで6ヶ月。

  2. 評価するよりも、できることを一緒に
    認知症の評価は何の意味も無いんです。評価なんかしなくても良い、出来ることを根気良くさせれば良いんです。1人にさせたら終わりですね。だから、職員は第三者になってはいけないんです。

    いまの大規模な施設職員に認知症をどう扱うかを聞いても、誰も答えられない。
    認知症介護は、痴呆の人とかかわり、自分も泥んこになる。その中で利用者が見えてくるものなんです。

 

おわりに

  1. 家族の心理
    ①異常な言動に対する戸惑い・否定・怒り
    認知症になってくると、先ず家族は戸惑います。「まさかうちのお父さんに限って!」と否定してかかるんです。そして、問題行動に対して「さっき言ったでしょ!!」と、怒りで対応してしまうんです。

    ②混乱疲労イライラ
    自分が混乱している為、認知症の人と取っ組み合いを始めるんです。

    ③あきらめ・放置・無視
    何を言ってもしょうがないと放置するようになる。でも、此処まで耐えられれば良い方なんですね。耐えられない人もいるし、悲惨な事件になることもあるんです。

  2. 認知症の受容
    ここまで持ちこたえることが出来ると、受容できるようになるんです。初期の段階で介護すれば在宅でも十分認知症の介護が出来ます。

    介護についてですが、施設介護は点の介護なんです。施設には24時間職員がいますが、交代勤務で1人が8時間しか認知症の方に接しません。でも、家族介護は線の介護で24時間つきっきりです。だから負担がとても大きいんです。

    そこで社会的責任から分担しましょうという考えで出来たのが介護保険なのです。実際には全く変わってませんがねぇ、、、

    将来の自分の姿を投影すること

    ある家から「家のおばあちゃんがおかしいから来てくれ」といわれ、社会福祉協議会のヘルパーさんが行ってみると、異様な臭いと共に何ヶ月も変えてないであろうシーツにおばあちゃんがくるまっていました。

    すぐ病院に運んだのですが、肋骨が数本折れていてその日のうちになくなりました。これは介護の放棄です。でも、家族は責められない、、、自分だったらどうしただろうと思いました。

    介護はいずれ自分も通る道なんです。そして自分が親にしてきたことを、老いてから子供にされる、、、と考えねばならないでしょう。その時、あなたはどうしますか?

  3. 共に歩む
    人生のパートナーとなること
    ここ(北さん家)では職員ではなく、生活のパートナーとして接している。そして「世話をする」とは言わない。

    処置時代、世話をすると言っていた人たちは、介護保険になってから「お世話させていただく」と言い出したが、見下しているのに変わりはないのではないだろうか?

    施設入所者に「幸せですか?」と聞くと「こんな良い施設に居れて幸せです」と答える。

    職員はそれを聞いて「やりがいのある仕事だわ!この調子でやっていきましょう!!」と思う、、、でも、本当でしょうか? 4人部屋で風呂は週二回、生活を管理された老後を、私は幸せとは思えないんです。

    世話をする=その人の能力を奪う・・・なんですから、「世話をする」のは「おせっかい」であり、本当に必要なのは、パートナーとして自律を援助していく姿勢なんです。

    自律を支援していくと、問題(認知症)は無くならないけれど、問題行動(徘徊など)は無くなり、日常生活をしていく上で障害がなくなっていくんです。

    道具を使う生活が出来るかどうかがIADLなんですが、道具を使わなくても日常生活は出来るんですね。そして、心を失わないように、人と接する趣味を持っていければ良いんじゃないかと思います。